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2011年2月23日 (水)

栗田 智仁のパインの歴史に迫る!

はい!栗田 智仁です。

パインにも、歴史があるんです。パイナップルも日本にたどり着くまでに長いたびをしてきたんですよ。栗田 智仁は、そんなパイナップルの歴史に迫ってみようと思います。

今日は、パインの歴史を調査しました。

原産地

ブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイにまたがる、南緯15~30度、西緯40~60度に囲まれた地域です。

普及過程

パイナップルは、新大陸で発見された当時(1492年)すでに中部アメリカ、西インド諸島に伝わっていました。そして、新大陸発見後、広く世界へと紹介されました。16世紀には、アフリカ・インド・南洋諸島の各地に分布。17世紀には、ヨーロッパ貴族の温室で品種育成も試みられ、18世紀には、南北緯度30度以内の熱帯・亜熱帯地域で広く栽培されるようになりました。
輸送や貯蔵に弱いパイナップルは、その後世界への伝播が遅れます。現在、世界の主要栽培品種のスムースカイエン種は、1819年フランス領ギアナから、フランス本国へ渡り、それからイギリスへ。アメリカはフロリダへ、そしてハワイへ、ハワイではジョンキドウェルがパイナップル缶詰工場を1892年に設立。一躍大産業の素地が作られます。缶詰用原料として認知されたスムースカイエン種は、1923年には台湾、ここ沖縄には1927年に伝わりました。

沖縄に入った時期

14世紀から16世紀、琉球王国は大交易時代。地の利を生かし、西の明(中国)、東南アジアのルソン(フィリピン)、シャム(タイ)、マラッカ(マレーシア)との貿易が盛んに行なわれていました。その頃伝わった代表的な物が泡盛です。
ただ、パイナップルは比較的遅く、1866年石垣島沖で座礁したオランダ船から、川平湾に漂着したパイナップルの苗が、沖縄に伝来した最初とされています。
沖縄本島では1888年に小笠原から輸入されたものが国頭郡に広がり、1927年には、現在の主力栽培品種である、スムースカイエン種が本部町伊豆味に導入されました。
石垣島では1930年に台湾からパイナップルの苗が運び込まれ、1935年には林発氏等を中心に、台湾から栽培農家53農家が移住して、本格的なパインの生産が始まりました。

沖縄パイン産業の変遷

1927年本部町伊豆味でスムースカイエン種が導入栽培され、石垣では1935年台湾からの入植者により栽培が始まりました。
1938年には石垣市に缶詰工場も建設され、県外移出が始まりました。しかし、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けます。
戦後、石垣島では1946年から、沖縄本島では1952年から栽培が再開されます。その後パイン生産は急増し、1960年には、サトウキビと並ぶ二大基幹作物として、沖縄の経済を支えるまでにパイン産業は成長します。
1970年代に入って、オイルショック、冷凍パイン輸入自由化、経済不況の影響を受け、最盛期1969年(年間10万t)の6割程度までに落ち込みます。
その後もパイン産業は、パイン缶詰の需要低迷・安価な外国産パイナップル缶詰の価格攻勢等の影響を受け、ついに1990年には沖縄のパイン生産の需要の大半を占める、パイン缶詰の輸入が自由化されます。ウルグアイラウンドによる、このパイン缶詰自由化により、沖縄のパイン産業は大きな打撃を受けます。

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