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2011年3月23日 (水)

栗田智仁のパイナップルの歴史

栗田智仁のパイナップル

栗田智仁のパイナップル解説

歴史
原産地はブラジル、パラナ川とパラグアイ川の流域地方であり、この地でトゥピ語族のグアラニー語を用いる先住民により、果物として栽培化されたものである。
15世紀末、ヨーロッパ人が新大陸へ到達した時は、既に新世界の各地に伝播、栽培されていた。
クリストファー・コロンブスの第2次探検隊が1493年11月4日、西インド諸島のグアドループ島で発見してからは急速に他の大陸に伝わった。
1513年には早くもスペインにもたらされ、次いで当時発見されたインド航路に乗り、たちまちアフリカ、アジアの熱帯地方へ伝わった。
当時海外の布教に力を注いでいたイエズス会の修道士たちは、この新しい果物を、時のインド皇帝アクバルへの貢物として贈ったと伝えられる。
次いでフィリピンへは1558年、ジャワでは1599年に伝わり広く普及して行った。
そして1605年にはマカオに伝わり、福建を経て、1650年ごろ台湾に導入された。
日本には1830年東京の小笠原諸島・父島に初めて植えられたが、1845年にオランダ船が長崎へもたらした記録もある。

生産
植付け後15~18ケ月で収穫が始まる。
自然下の主収穫期は、たとえば沖縄では7~9月と11~翌年2月である。
1年を通した生産面の労働力の分配や缶詰工場の平準化を図り、植物ホルモンであるエチレンやアセチレン(カーバイドに水を加えて発生させる)、エスレル(2-クロロエチルホスホン酸)、を植物成長調整剤として利用し、計画的に花芽形成を促して収穫調節を施している。

栽培適地は年平均気温摂氏20度以上で年降水量1300mm内外の熱帯の平地から海抜800mくらいまでの排水の良い肥沃な砂質土壌である。
世界生産量の約5割がアジア州で、残りの5割はアフリカ州、北アメリカ州、南アメリカ州の間でほぼ均等に分かれている。

2002年時点のFAOの統計によると世界生産量は1485万トン。
1985年時点に比べて60%以上拡大している。
主要生産国はタイ (13.3%)、フィリピン (11.0%)、ブラジル (9.9%)、中国 (8.6%)、インド (7.4%)、コスタリカ、ナイジェリア、ケニア、メキシコ、インドネシアである。
1985年の世界総生産は923万トンで、主産地はタイ、フィリピン、ブラジル、インド、アメリカ、ベトナムなどである。
日本では沖縄県が主産地で2002年時点では1万トンである。
1985年から2002年までのシェアの推移をたどると、米国のシェアが6%から2%までじりじり下がっていることが特徴である。
既に米国は上位10カ国に含まれていない。

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